ケバブから革命まで

トルコとぼくの話

トルコ・オスマン軍楽隊による表参道パレードに参加!

めるはばばああぁぁ(ブログ記事の最初の挨拶フレーズにしたい(笑)。)

 

 6月6日に東京・表参道で行われたオスマン軍楽隊のパレードに参加しました!

 

 オスマン軍楽隊(メフテル)というのは、トルコが昔オスマン帝国という武力的にものすごく強くて領土も広く、ヨーロッパの東側にも領土を持っていて、西側のヨーロッパ諸国に脅威を与えていた国だったときに、オスマン帝国軍が戦争で勝つための士気をかき立てるための音楽を打ち鳴らす兵隊さんたちのことです。

 

 そのメフテルの伝統が、今のトルコがトルコ共和国になってからも続いているんですね。

 下は今回のメフテルパレードの告知を記したポスターです。

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パレードの様子の写真です。

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 今回のパレードは、エルトゥールル号事件125周年を記念しての一環として行われたものでした。

 

 

エルトゥールル号事件を知っていますか?

 

 これ実は、日本とトルコの関係を知る上で大変重要な史実の一つなのです。

 近年、盛んにテレビでも取り上げられるようになったのでご存知の方も多いかもしれません。

 

 1890年のことです。当時のオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、1887年の小松宮夫妻のイスタンブル訪問に応える形で日本を訪れました。

エルトゥールル号は日本を離れるときに和歌山沖で遭難しました。

 そのときエルトゥールルに乗っていた隊員のうち、587名が死亡または行方不明という大変な犠牲を出したのですが、残った69名は現地の和歌山県串本町の人たちの救出と手厚い看護を受けて助かりました。串本町の人たちはそれはそれは大変な働きぶりで、遭難した隊員たちを一生懸命看護しました。そして、このことが新聞の記事になり知れ渡ると、日本中から義援金や支援が集まりエルトゥールルの人たちが無事にオスマン帝国に帰れるように取り測られたそうです。

 

 

 このときのエピソードが今でも日・ト両国の友情の物語として今でも日本とトルコの親善行事のきっかけとなることが多々あります。

 

 

 また、トルコから日本側への心あたたまる話として、イラン・イラク戦争時の日本人救出があります。

 

 1985年にイラン・イラク戦争勃発の際、各国の現地在住外国人が帰国する中、イランに取り残されたままの215名の日本人がいました。日本政府も彼らを救出するために尽力していましたが、遠い異国の地での交渉も行き詰まっているところでした。

 そうした中、日本人救出を申し出たのがトルコでした。早速トルコの現地大使がトルコ航空に要請したところ、トルコ航空の機長さんは快く引き受けました。

 そうしてその215名の日本人は無事にイランを離れ、助かることができました。

 

 

この逸話も両国の親善の場で語られることが多いです。

 

 

国と国とのやさしいつながりを築く上での物語。これからも大切にしていきたいものです。