トルコ入門(歴史編)
トルコってどんな歴史?
今日はトルコの歴史を大まかに見てましょう。
紀元前20世紀ー紀元前12世紀
人類の歴史上初めて鉄器を用いたヒッタイト人がアナトリア地域で活躍する。
紀元前6世紀
ペルシア人(今のイラン辺りの民族)の王国、アケメネス朝ペルシアに支配される。
紀元前4世紀頃
ギリシャ系のマケドニア王国(スラブ系が多い今のマケドニア共和国とは別物)の暴れん坊将軍アレクサンドロス大王に征服される。大王の死後は同じギリシャ系のセレウコス朝シリアの支配下になる。以後トルコでヘレニズム文化(ヘレニズムとは簡単に言えばギリシャ主義のこと)が浸透して、ギリシャっぽい建築や彫刻が流行る。
紀元後330年
今のイスタンブールであるコンスタンティノープルが東ローマ帝国領になる。東ローマ帝国は、1453年にオスマン帝国がコンスタンティノープルを陥落するまで続く。
1038年ー1194年
現在のウズベキスタン辺りから興ったテュルク系イスラームのセルジューク朝が成立。セルジューク朝が東ローマ帝国を戦争で破ると、セルジューク一派のルーム・セルジューク朝がアナトリア側まで勢力を広げる。その後ルーム・セルジューク朝はモンゴル軍に侵略されて14世紀に滅亡してしまう。1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落まで、アナトリア地域に小さな国が群雄割拠するトルコ戦国時代になる。
1299年−1922年
オスマン帝国というものすごく強い国が現れる。最初はオスマンという人が興した小さな国だったが、次第に勢力を広げ、1389年のコソボの戦いでバルカン半島諸国を支配下に治める。そして1453年に第7代スルタン、ファティ(征服者)と呼ばれたメフメト二世がコンスタンティノープルを攻略する。コンスタンティノープルはムスリムの都市となり、イスタンブールと呼ばれるようになる。スレイマン一世の頃の1529年に第一次ウィーン包囲を行い、ヨーロッパ中を恐怖に陥れる。1538年にはプレヴェザの海戦でスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を破り地中海の覇権を握る。しかし、1571年のドン・キホーテの作者セルバンテスも参加したレパントの海戦でスペイン艦隊に破れると、以後オスマン帝国は衰えていくことになる。18世紀頃からロシアによる南下政策で領土が狭められ、第一次世界大戦ではドイツ側につき敗北する。この時点ですでにオスマン帝国はずたぼろになり、民衆の不満がくすぶる。そこに現れたムスタファ・ケマルを指導者とするトルコ革命が起こる。
1923年-現在
ムスタファ・ケマル・アタテュルクによりそれまでイスラームを国教としていたオスマン帝国に代わり、世俗主義を国是とするトルコ共和国が成立する。初代大統領となったアタテュルクは次々と西洋式の政策を進め、それまでアラビア文字を使っていたトルコ語をローマ字式に変えて大幅に言語を修正する。各種制度も生活もヨーロッパ式に変え、それまでほとんど名前だけだった国民に姓を義務付けたり、愛国心を育むために徹底的に民族教育を行い、宗教的と見なされたターバンやトルコ帽も禁止にした。1938年のアタテュルクの死語も彼の政策はトルコで生き続け今に至るまで、彼は国家建国の父としてトルコ人の尊敬を集めている。
以上で、ざっくりした説明でしたが、トルコの歴史についての説明を終わります。より詳しく知りたい人は、ネットや本で調べてみてください。