ケバブから革命まで

トルコとぼくの話

ザザの星(1)

 九月、ぼくは港町イスタンブルにいた。えっちらおっちら、スルタン・アフメット地区で宿を探していた。トルコに行くときは、ぼくは事前に宿を取るという行為をしないようにしている。その時その時、いきあたりばったり、人とのつながりを得ることを通して、その日の活動を終えられる場所を見つけること、それがぼくにとってのトルコにおける旅作法である。

 トルコ語。これはできなければならない。言葉がわからないまま、その地を旅するということは、その地に生きている人たちの声をきけないということだ。異国の声を聞くということ、それは自分の知らない世界が開いてくるということ。なぜ、世界が「開いてくる」のか、世界は「開ける」ものではないのか、と懐疑する人も中にはいるかもしれない。しかし、それはぼくが考える感覚とは違うのである。新しい世界は、自分が開こうとするから開けるものではなく、世界が開くきっかけに近づいた時、世界の方から自ずと開いてくるのだ。ぼくは、この自分の知らない世界が開いてくるという瞬間がたまらなく好きなもんだから、トルコにいる間はなるべくトルコ語を使うように心構えをしている。

 東京、ブリュッセル、ケルン、上海、ソウル――遠く、故郷があるトルコ共和国を離れ、異国の地に住まう人々。彼らにふとしたことで出会った時も、最初はトルコ語で挨拶をする。「メルハバ!ナスルスヌズ?(こんにちは!ご機嫌いかが?)」と話しかける。するとすかさず彼らも、「メルハバ、カルデシム!サアオル、イイイム。セン、ナスルスン?(こんにちは、兄弟!ありがとう、元気でやってるよ。君は元気かい?)」と返してくる。カルデシム、それは「兄弟」を表す「カルデシ」に、「私の」を表す「イム」がくっついて「カルデシム」、つまり「私の兄弟」を表す言葉だ。トルコ人は友達に対して呼びかける時、このカルデシムをよく使う。驚くべきことかもしれないが、初対面の人に対してもよく使う。しかし、だからと言って、この言葉を使うことが必ずしも相手との心を通わしているという証明にはならない。

(つづく)