ケバブから革命まで

トルコとぼくの話

ザザの星(2)

 それは3年前のことだった。ぼくは横浜の車屋台で、お客から注文を受けたドネルケバブのサンドを作って、それを売るアルバイトをしていた。ドネルケバブというのは、「ドネル」が「回転させたもの」、「ケバブ」が「火であぶった肉」という意味で、全体で「回転させながら火であぶった肉料理」というぐらいの意味である。主に牛肉、鶏肉のモモ肉・ムネ肉などを金属の太い串に通して、その金属の串を機械で回転させながら、電気ストーブと同じ原理の装置であぶる。その装置はケバブ肉を通した串と平行して縦方向になっていて、ケバブ肉が装置のそばを通るたびに焼かれるという仕組みだ。サンドを作るためにドネルケバブを挟むのはピタパンである。通常トルコではエキメッキと呼ばれる強力粉や卵などをこねたものに黒ゴマを散らしたパンを、ケバブを挟むサンドとして使用する。まだ日本、特に横浜周辺はエキメッキを大量生産するシステムが整っていないので、メキシコ産のピタパンを発注することでエキメッキの代わりにしている。店主はトルコ人のメフメット。メフメットはぼくが初めてこの屋台で働き始めた時から、いつも丁寧にケバブ肉の切り方や、屋台や屋台の周りの掃除の仕方、仕入れの人が来たときなどの対応の仕方などを教えてくれた。ぼくはそれでも失敗ばかりしていたが、そんなぼくのことを叱りはするが、怒らずに親身になって、失敗に対する改善方法を教えてくれた。

 そんなある夏の夕方、いつもお客が多い時間帯で、屋台もとても混んでいた。メフメットとぼくが分担してケバブの注文を受けて、作って、料金を受け取って、お客に渡す作業をしていた。時には役割を交替しながらこの忙しい稼ぎ時を乗り切ろうとしていた。その人が現れたのは、そんな時だった。お客が10人ぐらい並んでいた中、その人は一番後ろからトルコ語でメフメットに話しかけてきた。

(つづく)